私たちは、日々の暮らしの中で当たり前のように「言葉」を使っています。
朝、「おはよう」と挨拶をしたり、買い物で「これください」と伝えたり、職場で「今日もよろしくお願いします」と声をかけたり。
特別に意識することなく、息を吸って吐くように自然とつかっていますよね。
でも、ちょっと気になったので考えてみました。
「言葉もナイフも生活を便利にする道具あるなら“取り扱いに注意する”必要はないのか?」と
そこで今回は「言葉の取り扱い」についてゆるっと考えてみましたのでぜひ最後まで読んでみてください。
言葉もナイフも便利なもの

包丁やナイフなどの“刃物”って、便利な道具ですよね。
料理を作るのに、野菜やお肉を切ったり生活には欠かせません。
でも、それと同時に「危ないもの」でもあります。
使い方を間違うとケガをしてしまいますから、子どもが使うときには大人が見守る。
「刃をこっちに向けちゃだめ」とか「使い終わったらすぐ片づけよう」などとケガをしない使い方を教えます。

それは私たちが包丁やナイフなどの刃物を使う時、「取り扱いに注意する意識」を持っているからですよね。
では、言葉はどうでしょう?
言葉もまた、生活に欠かせない“便利な道具”です。
- 会った人と挨拶をする
- 自分の思いを伝える
- 相手の気分を伺うための質問をする
などコミュニケーションを取るために使う便利な道具です。

でもちょっと使い方を間違うと、人を深く傷つけてしまうことがある道具でもありますよね。
人を傷つけてしまうことがある以上取り扱いには注意する必要がありそうです。
言葉の“切れ味”を感じた瞬間

たとえば、こんな場面があったとします。
あるとき仕事でミスをした部下に対して、上司が「なんでこんな簡単なこともできないんだ」と言いました。
それは、仕事を任せたその部下に対する信頼を込めて言った言葉だった。
はずでした。
しかし言われた側はというと、

「こんな簡単なこともできないなんて、自分には価値がないのかもしれない」
「これ以上頑張っても無駄なんじゃないか」
というふうに、心の奥まで傷ついてしまった。
こんなこと、意外とよくありますよね。
あるいは、久しぶりに会う友人に軽い冗談のつもりで「ちょっと太ったんじゃない?」なんて言った時。

本人は笑ってごまかしていたとしても、心の中では「久しぶりに会うのに、なんでこんなヒドイこと言われないといけないの」と思っているかもしれません。
言葉は、目に見えないけれど“心に傷をつける刃物”にもなることはありますよね。
刃物を使うときには気をつける。でも言葉を使う時は?

包丁やナイフのような物理的な刃物には、「注意しなければ危険だ」という意識があります。
過去にケガをした経験から、「これは取り扱いに注意しなければ」と思ったことも。
でも「言葉」となるとどうでしょうか。
「この言い方、相手にどう届くかな?」
「もしかして傷つけてしまう可能性は?」
そんなふうに立ち止まって考えることって、意外と少ないかもしれません。
それはきっと、言葉があまりにも身近で、目に見えないからなのかもしれません。

でも、言葉の“刃”は確かに存在します。
だからこそ、私たちは言葉に対してももっと意識的になる必要があるのではないでしょうか。
言葉に“取り扱い説明書”があるとしたら?

もし、言葉を使う前に確認できる「取り扱い説明書」があったとしたら、どんなことが書かれているでしょう?
少し考えてみました。
言葉の取り扱い説明書(仮)
【使用上の注意】
【安全な使い方】
- 使用前に「相手の立場」を想像してください。
- 「自分が同じことを言われたらどう感じるか」を確認しましょう。
- 一度発した言葉は、元に戻せません。慎重に扱いましょう。
- 伝えたいことがあるときは、感情ではなく“意図”を中心に。
- 否定するのではなく、まずは「聴く」ことから始めましょう。
- 自分の意見を伝えるときは、「私はこう感じた」と主語を“私”にすることで、角が立ちにくくなります。
【緊急時の対応】
- 誰かを傷つけてしまったと感じたときは、できるだけ早く「ごめんね」と謝りましょう。
- 言葉で傷ついた人には、「聞くこと」や「寄り添うこと」が大切です。
冗談のようですがふざけているわけではなく、これはとても大事な視点かもしれません。
コミュニケーションを“円滑”にするために

言葉で人を傷つけてしまうのは、必ずしも悪意があるとは限りません。
むしろ、多くの場合は「意図していないのに、伝え方を間違えた」ことで起こります。
では、どうすればコミュニケーションを円滑にできるのでしょうか。
いくつかのポイントで考えてみましょう。
1. 「受け取り方は人それぞれ」という前提を持つ
同じ言葉でも、人によって受け取り方が違います。
「それくらい、冗談ってわかるでしょ」と思っても、相手にとっては深刻な一言になるかもしれません。
「これぐらいのジョークは大丈夫だろう」は危険です。
だからこそ、「自分がどう言いたいか」よりも、「相手にどう届たいか」を大事にしたいものですね。

2. 言葉の前に、“気持ち”を添える
ただ「言う」だけでなく、「どうしてそう思ったのか」「なぜそれを伝えたいのか」という背景も一緒に伝えるだけでも、ぐっと伝わり方が柔らかくなります。
たとえば、「もっと頑張って」ではなく、
「あなたにはきっとできるはずだから、あともう少しだけ頑張ってみない?」
のように伝えると、まったく印象が変わり意図が伝わりやすくなる場合があります。

3. 「沈黙」も言葉の一つ
ときには、何も言わないという選択肢もあります。
相手が落ち込んでいるとき、無理に励ますより、そっとそばにいてくれるだけで救われることもあります。
あるとき落ち込んでいたときに、友人から「無理しなくていいんじゃない?そのままで」という一言が、心にふわっと灯りをともしてくれた
そんな経験、ありませんか?

「言葉を使わない勇気」というのも、時には大切なコミュニケーションになる場合もあります。
言葉の取り扱いに注意する意識をもって丁寧に使う

包丁やナイフが危ないからといって、私たちはそれを手放すことはありません。
きちんと使い方を学び、注意しながら扱えば、むしろ生活を豊かにしてくれる道具なのですから。
言葉も同じです。

正しく丁寧に使えば、人と人とをつなげることができます。
想いを届けたり、誰かの心をあたためたり、自分自身を支える力にもなります。
だからこそ、これからは言葉を使うときにほんの少しの“取り扱い注意”の意識を持つことは大切なことかもしれません。
言葉は便利なツール、でも人を傷つけてしまう“刃物”になることもある――
そのことにちょっとだけ気をつけながら使うと、良いコミュニケーションが生まれるのではないでしょうか。

何も意識せずに良かれと思ってかけた言葉が相手を傷つけてしまう。
そんなことにならないように「言葉の取り扱いに気をつけようと意識する心の余裕」を持ちたいものですね。
最後に
このブログでは
「良く考えてみたら〇〇じゃないかな?」
という内容の記事を書いています。
今回は「言葉は取り扱いに注意しなくても良いのか?」について、ゆるっと考えてみました。
最後までお読みいただきありがとうございます。

このブログは「ゆるっとふわっとなんとなく考えてみた」という不定期で気まぐれな思索日記です。
内容が気に入っていただけたらまたお気軽にお立ち寄りください。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた、次の記事でお会いしましょう。

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