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最初に言葉があった⁉︎──その一文から考えたこと

ある日、こんな一文を目にしました。

「最初に言葉があった」

聖書の中に出てくる、とても有名な言葉だそうです。

最初に読んだとき、正直「なんか詩的すぎるなぁ」と思ったんです。
でも、なんだか妙に心にひっかかって。

“最初に”ってことは、この世界が始まるより前に、「言葉」がもうそこにあったってことなのでしょうか?

……どういうことなんだろう?と少し考えてみたくなりました。

目次

「最初に言葉があった」ってどういう意味?

この言葉は、キリスト教の新約聖書『ヨハネによる福音書』の冒頭にあります。

「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」

英語では “In the beginning was the Word…”
ここでの「言葉」は、ただの“単語”や“会話”という意味ではなく、
もっと深い意味──宇宙の原理や秩序、意志のようなものを含んでいるといわれます。

原文のギリシャ語では「ロゴス(Logos)」という言葉が使われており、
これは「理性」や「意味」や「真理」とも訳せる、ちょっと大きな概念。

でも、そんな難しいことを抜きにしても、
「言葉が世界の“はじまり”にあった」という考え方は、けっこう衝撃的です。

世界は“言葉”から始まった?

私たちは、何かが起きてから「それを説明する言葉」が生まれる、と思いがちです。

たとえば、夜空に光るものを見て、それを「星」と呼ぶ。
人の感情があって、それに「悲しい」「うれしい」という名前をつける。

でももし、「言葉が先にあった」とするならば──
言葉が、世界を生み出した、という考え方もできるかもしれません。

聖書の中でも、「神が言った。“光あれ”」と語った瞬間、光が生まれたと書かれています。

つまり、“言葉”は、ただの説明ではなく、「創造」の力そのものだった。

これって、案外、私たちの日常にも似たところがある気がします。

誰かの言葉に救われたり、
誰かの一言で心が折れたり。

そういえば「言葉ひとつで世界が変わった」と感じた経験って、誰にでもありますよね。

実は神様よりも、言葉が先だった⁉︎

さらに考えていくと、「神とともに言葉があった」という表現の中に、
ちょっとおもしろい逆転の視点も見えてきます。

「神が言葉をつかった」ではなく、

「言葉は神とともにあった。もしや言葉そのものも神だった⁉︎」

もしかすると、神様が世界を創るために頼ったもの、
それが「言葉」だったのかもしれません。

つまり、“創造のはじまり”にあるのは、神そのもの以上に「言葉の力」だったのかも?

そんなふうに想像してみると、私たちが日々当たり前に使っている「ことば」って、
とてつもなく神聖で、すごい存在のような気がしてきます。

“ことば“は神からの贈り物かもしれない

普段、私たちは「言葉」をとても軽く使っています。

SNSで何気なくつぶやく言葉、
イライラして口にしてしまう言葉、
自分を責めるときに出てしまう言葉。

でももし、言葉に“創造の力”があるとしたら。

それらの言葉が、自分の未来やまわりの人の心を
知らず知らずのうちにかたちづくっているとしたら──

ちょっとだけ、言葉を大切にしてみようかな、と思えてきますね。

「最初に言葉があった」という一文は、私たちが

“何かを始めたいとき”、
“変わりたいとき”、
“人とつながりたいとき”に、

まず言葉から始めてみようというヒントをくれているのかもしれません。

ことばは、はじまり。

世界が言葉から始まったのなら、

きっと私たちの「今日」という世界も、ひとつの言葉から始まるのでしょう。

「おはよう」
「ありがとう」
「大丈夫」
「やってみよう」
「ただいま」

そんな小さな言葉が、きっと未来をすこしずつ変えていくのでしょうね。

そして、私たちが今、心の中でつぶやいたその言葉こそが──
私たちにとっての「はじまり」のタネなのかもしれません。

終わりに

このブログでは、
「よく考えてみたら、〇〇かな?」という視点で、
身近なことをゆるやかに思索しています。

今回は「”最初に言葉があった”という一文をみて考えた」というテーマで、
ゆるっと考えてみました。

不定期・気まぐれ更新ですが、
またふと思い出したときに、ふらっと立ち寄っていただけたら嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ではまた、次の記事でお会いしましょう。

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